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〜「やきもの」の4分類・陶器・磁器・b器・土器・・・やきもののいろいろ〜
*陶器 土器の欠点を補い施釉 |
吸水性のある粘土質の素土に釉薬を施し、磁器よりも低い1100〜1,200℃で焼かれたものです。不透光性で、貫入などの手作りの良さが出やすく、ぬくもりのある器。素焼きした後、下絵付け、施釉、本焼きで完成します。益子・相馬・笠間・織部・志野・薩摩・唐津・萩焼など全国いたるところで焼かれ、それぞれ特徴ある手法で作られています。扱いは特に神経質になる必要はありませんが、柔らかい質の器は洗ったあと陰干しした方がいいでしょう。磁器に比べ味わいは豊です。 |
豊臣秀吉の朝鮮出兵に参加した各軍の将兵達は帰国の際に、多くの朝鮮の人々、特に技術者を連れ帰りました。中でも陶工は格別大切にされ、士分の待遇を受けた者が多かったと言います。日本での生活が安定した陶工たちは、親類縁者を本国から呼びよせました。萩焼や薩摩焼などはこのときに渡来していた朝鮮の陶工によって始められたものです。 |
*磁器 やきものの中で最も優れた性質をもつ |
土ものと呼ばれる陶器や土器に対して、こちらは石ものと言われます。原料は、石の粉に粘土や石英などを混ぜた陶石。素土が白く、吸水性がなく、光にかざすと透けてやきもので、1300℃前後の高温で焼くため、高度の技術を要するやきものです。また端正な形に色絵が施され、製作に最も手間がかかります。吸水性がない上釉薬をかけているので、長く使っても汚れや臭いがつきにくく薄手ですが、陶器より硬くて耐久性もあるので日常の器として最適です。有田・伊万里・久谷・清水・瀬戸・砥部・美濃焼などがあります。「ハーブ柄の白い陶器」で紹介してるウルトラホワイトは完全な磁器で強度も強く透光性の抜群な磁器である。またこの他に象牙色の高級感溢れるボンチャイナやボンチャイナを真似たニューボンなど一般磁器や強化磁器などさらに硬い磁器も開発されている。 |
日本の磁器の発祥の地は佐賀県の有田。唐津焼の帰化陶工、李参平が1616年有田に白磁鉱山を発見し、初めて白磁を焼いたことから始まります。それまで陶器が主流だった日本のやきものに新しい風が吹いたのです。有田のやきものは酒井田柿右衛門らによる色絵の完成を経て急速な発展をとげ、内乱に揺れる清に代わってヨーロッパに大量に出され、世界の「伊万里焼」として親しまれました。その手本となったのが中国の景徳鎮です。 |
*b器(せっき) 陶器と磁器の中間的な存在 |
吸水性のない素土に釉薬のかかっていない(ごくまれにかかっているものもある)焼きしめと呼ばれるやきもの。妬器の『妬』とは、』実際には漢字辞典になかった文字で、明治40年頃の造語、ストーンウェアという英語の当て字。石のように硬いやきものという意味です。アルカリや鉄などを多く含む粘土を使い、1,200〜1300℃の高温で、長時間かけて焼かれます。吸水性のない素土ということが陶器と異なり、不透光であることは磁器と異なります。備前・常滑・信楽・萬古・伊賀焼などがあり、その地方ならではの土の特徴を生かし、独自の焼き方が開発されています。 |
やきものの歴史を見ると、5世紀中ごろ、須恵器というものが朝鮮半島から伝えられ、日本全国の窯に広がり、人々の生活に深く浸透していきますが、妬器はこの須恵器を焼く技術を元に焼かれたやきものです。乾燥させたあと、素焼きや釉薬をかけずに本焼するので、薪や炭、煤、煙などによってできる窯変が妬器の特徴。これがこのやきものの味わいそのものである。 |
*土器 人類が初めて作ったやきもの |
粘土を原料として、無釉、素焼きで700〜800℃の低温で焼成されたものです。もろくて水漏れするため食器には向きませんが、植木鉢などに使われます。日本でも1万年前の縄文土器から始まり、4つのやきものの中では一番単純な製作過程でできます。それまで、貝殻や竹筒など自然の器を使ってた人間が、粘土を使って人工に器を形作って焼くということは、人類が科学に目覚めた第一歩と言えるかもしれません。土器は煮炊き用品からいろいろな用途へと急速に展開していきました。 |
現在までに世界各地で出土した土器のな中で一番古いと言われているのが、九州の西北部佐世保市郊外にある泉福寺洞穴から出土した土器片。つまりやきものの発明はメソポタミアやエジプト、インダスや中国といった世界4大文明発祥地よりも日本のほうが進んでいたということになります。そして古墳時代に朝鮮半島から須恵器の技術が伝わってくるまで、日本の土器時代は続きました。 |